Hershey ミニチュアチョコレート

袋を開けた瞬間ムワッとチョコの香り。
これは強烈!
こういうパンチのあるチョコが日本には少ないのが残念。
原産国はメキシコなのかー。

ミルクチョコレート
このミルクたっぷりな甘さはクセになるぜ!


Krackel (クリスピーライス入り)
サクッとしており、パクパク食べるには一番良いかも。だけど甘い。


スペシャルダーク
ミルクの後に強烈なカカオの味。
一番これが美味しいとも思うけど、ダースとの違いがあまり感じられない気もする。


mr. Goodbar (ピーナッツ入り)
まさにスニッカーズの味。

10年後に食える仕事、食えない仕事

10年後に食える仕事、食えない仕事

10年後に食える仕事、食えない仕事

大体予想通りだったが、人事がグローバル化から守られるという意見は目から鱗

ヘルシアコーヒー 微糖ミルク


ヘルシアと聞いて緑茶を連想したのだが、別に緑茶が入っているわけではない。
飲み口はダイエット商品ということで女性を意識したのか甘く、コーヒーミルクを連想させた。
コーヒーポリフェノールが1缶270mg入っているから脂肪を消費しやすくなるんだそうだ。
缶の量は185mlと平均的。カフェインの量は1缶90gmと、他のコーヒーと比較して普通くらい。

心に届く文章づくり

心に届く文章づくり (岩波ジュニア新書 (257))

心に届く文章づくり (岩波ジュニア新書 (257))

読んでて全然面白くない。
役にも立たない。
朝日新聞記者が」「岩波で」「子供向けに」書くという時点で権威主義的なんだろうなという予想は付くわけだが、それなら教養の煌めきや文章センスに期待しようかと思いきやそれすら感じられず、バカみたいなひどい本だった。金返せ。
例えば「擬声語・擬態語の使い方」については以下のように書いている(擬声語・擬態語についてはこれだけしか書いていない)。

私たちが暮らす日本は、四季に恵まれた温帯に属し、しかも北から南へ、弓なりになっていますから、北海道の人たちは寒帯に近い経験、沖縄の人たちは熱帯に近い体験もします。
私は新聞社の特派員として、寒い国へも暑い国へも行ったことがあります。そこで日本を思うと、暑い国では、冬の、あの、身の引き締まる寒さがなつかしく、寒い国では、夏の、あのふうふう言う暑さが恋しくなります。
実際、南のバンコクでは、「メリー・クリスマス」の季節だというのに、クリスマス・セールをしているデパートの前など、灼熱の太陽にアスファルト道路が焼かれて溶け、行政区分を示す白線がぐにゃぐにゃになっています。一方、北のアムステルダムでは、夏だと、午後十時、十一時になっても、窓から見える隣のビルには日が当たり、夜であることを忘れます。白夜です。
日本は、かつての氷河期でも、厚い氷に覆われる面積が少なくてすみ、おかげで、生き残った動物や植物の種類も豊富です。
こうした環境の中で、私たち日本人は、豊かな感性を育ててきました。それは、日本人の文章表現にも反映しています。その一つが、擬声語・擬態語の多さだ、と言われています。
赤ちゃんのオギャーオギャー、犬のワンワン、猫のニャーニャーといった泣き声や鳴き声、雷のゴロゴロ、雨のザアザアといった音をまねてつくったのが擬声語です。また、ニコニコ笑う、ブラブラ歩く、ゴソゴソ動くといった、ものごとの状態や様子をあらわすのが擬態語です。
私たちは、文章を書く時、この擬声語や擬態語を上手に使い、文章を生き生きさせています。とくに作家や詩人は独自の擬声語や擬態語を生み出すため、苦しんできました。
たとえば、ゲロゲロ鳴く蛙も、中原中也(一九〇七―三七)はコロコロといい、萩原朔太郎(一八八六―一九四二)は「ぎよ、ぎよ、ぎよ、ぎよ」と表現しています。
(P68-69)

ごらんの通り、内容が愚にも付かない。
文章が散漫としていて論理的でない(例えば、日本の四季に恵まれた環境が擬声語・擬態語の豊かさをはぐくんだと説明してる文章のなかに、唐突に『自分は特派員として他国へ〜』と自慢話を挟んで論理的に趣旨一貫してない)。
文法的におかしな文が見られる(『それは、日本人の文章表現にも反映しています』は『――反映されています』と書くべき)。
子供向けに曖昧な表現を使ってる割には「行政区分を示す白線」だの「中原中也」だのを説明抜きでポーンと出してきてる(後者はこの本を教材に使う国語教師が説明するならまだしも、前者なんて説明できる人がどれだけいるのやら。ちなみに前者はこの方の記事の中程に掲載されている写真のようなものを指します)。
なによりこの説明で擬声語・擬態語の使い方がまるで分からない

欲情の文法 (星海社新書)

欲情の文法 (星海社新書)

欲情の文法 (星海社新書)

うん、こりゃ勝てんなと思った。
年間30冊も出版するという旺盛な執筆欲も、もちろん性欲も。
以下は記述について思ったことをつらつらと。

実際に、官能作家と言っても、儲からないし、尊敬もされない。官能小説でベストセラーになることはまずありえないし、恥ずかしくて親族に自分の本をあげることすらできないのだ。
(P3)

とは仰るが、さすがに年間30冊も書いてたらそこそこ収入はありそうなものである。
現に筆者は喫茶店を経営しているというし(その元手はおそらく執筆で稼いだのだろう)。
試しに1冊590円、印税10%、1冊辺りの売上2000〜5000冊として計算してみる。
354万円〜885万円と出た。
決して高いとは言えぬが、生活ギリギリとも言えぬ年収である(作者の世代はどうだかしらないが私の世代においては自営業で年収350万は生活ギリギリとは言わない。公務員でフルタイム働いても200万行かない人たちがゴロゴロいるからなぁ……)。
「儲からない」という表現は、まあ事実なんだろうね。
また、作者は無趣味だというし喫茶店の売上もあるだろうから、どちらかというと「使わない」ことの徹底で堅実に預金している印象。

駆け出しのころは、『新世紀エヴァンゲリオン』のパロディを書いたことがある。
(P20)

筆者は1956年生まれであり、23歳で官能小説デビューしたそうだ。
てことはエヴァを書いたのが1995年だとしても39歳、キャリア16,7年である。
それでも「駆け出し」と言うのか。官能小説の世界はそうなのか。うーむ。

現代の男女二人が江戸時代にタイムスリップした話を書いたとき、現代のケータイが通じるかどうかという問題が浮上した(中略)時間の裂け目があるのだから、そこから電波が現代に届く可能性は高い。だから、ケータイが通じても不自然ではないだろう
(P23〜24)

これは館淳一さんという方のアドバイスらしいけど、納得。

作品が5年、10年残ったときのことも考えれば、タレントの名前は出さない方がいい
(P56)

人物の設定にしても、場所の設定にしても、読者との距離があり過ぎると、途端にウケが悪くなる。読者が主人公に感情移入できないからだ。読者は、主人公に自分を投影して読んでいるのだから、それを裏切るようなことはしてはいけない。
現実には起こらないけれど、ひょっとしたら起こるかもしれないというギリギリの設定が理想的
(P81〜82)

なるほど。見識である。

次の三つのどれかにセールスポイントを作るようにしなければいけない。
①行為②場所③関係

官能小説の場合、ヒロインのキャラや設定はセールスポイントにならないんだね。

二見書房のマドンナメイト文庫や勁文社のグリーンドア文庫のタイトルは、読者に分かりやすいような扇情的なタイトルが多かった。こちらがカッコいいタイトルを考えても、勝手に変えられてしまうのが普通だった(中略)講談社文庫や徳間文庫などは、私の場合お互いに話し合って決めるので、ある程度こちらの意向が反映されている。
(P93)

偏見かもしれないが、大手の方がしっかり打ち合わせに時間を割いてくれるということかな。

果実系の匂い、乳酪系の匂い、磯の匂い、そして玉ねぎの匂いと納豆の匂いである。この五種類が組み合わさって、女性の匂いはできている。
(P152)

上手いこといいますねぇ。

中学二年生の頃、水泳の授業のときに、教室に女子が脱いだものが置いてあった。男子の授業が早く終わり、先に教室に戻ってきたのである。
五人くらいの仲間で、クラスで一番可愛い女の子の下着を回して見た。さすがに中学生だったから、匂いを嗅ぐような強者はいなかったけれど、みんんで手に取って見たのだ。それが非常に嬉しかった。大して仲がいい五人ではなかったけれど、「俺は、こいつらと死んでもいい」とさえ思うほど感動した。
そのとき、「一人ですると変態になってしまうが、みんなですれば青春だなぁ」と思ったものだ。
(P174〜175)

いい経験ですねぇ。

人生で初めての恋人が出来た。(中略)バイトで知り合った、5歳下の高校を卒業したばかりの18歳だった。しかも、日没門限という男爵家のお嬢様だった。(中略)
念願のファーストキスは、彼女とだった。たった2秒くらいのキスだったが、頭がぼうっとなり、その後何を話したのか、どうやって家に帰ったのか思い出せないほど、嬉しかった。彼女の唇の感触と痺れるほどの感激だけは確かだった。
(中略)彼女とは、1年半付き合ったけれど、結局最後まで挿入はしないまま別れてしまった。
(P207〜208)

甘酸っぱい思い出だ。それを照れなく語れてしまうところが格好いい。初エッチが19なのでファーストキスが後になるんだね。


この作者さんの創作論は年間20も30も書く方法としてはなるほどなと思えるのだが、如何せんそういうスタンスに私は向かないしやりたいとも思わないので、あくまで参考になる程度だった。
また、「文化系の方が変態」「平和な時代の方が変態」という点にはやや疑問符が付く。体育会系に変態はいっぱいいるし、江戸の方が爛熟したかもしれないが戦国武将も衆道を嗜みとしていたわけだから。

風の白猿神(ハヌマーン)―神々の砂漠

もう18年半も昔の作品になる。
戦って、ボーイミーツガールして、戦って、ハヌマーン覚醒して、過去を思い出して、才能の片鱗を見せて、ライバルと因縁を作って、絶望的な戦いで主人公が覚醒する話。設定・人物の細かさ、文章力、そしてなにより作品としてのお行儀の良さ(これといった欠点が見つけづらく、展開も王道を征く)が『幕末魔法士―Mage Revolution』を思い出させるかもしれない。
ラストバトルは主人公が覚醒するのはいいのだが、主人公以外がそれ以前に結構善戦してしまっているので(特にリスクもなく複数回行使可能な必殺技1発で敵の匡体を十数体も倒すのはさすがにやりすぎたのではないか)、イマイチに感じた。
噂には聞いていたが本当に第一部だった。
やはりいのまたさんの表現力はもの凄い。人物のみならず匡体すらもカッコイイ!