欲情の文法 (星海社新書)

欲情の文法 (星海社新書)

欲情の文法 (星海社新書)

うん、こりゃ勝てんなと思った。
年間30冊も出版するという旺盛な執筆欲も、もちろん性欲も。
以下は記述について思ったことをつらつらと。

実際に、官能作家と言っても、儲からないし、尊敬もされない。官能小説でベストセラーになることはまずありえないし、恥ずかしくて親族に自分の本をあげることすらできないのだ。
(P3)

とは仰るが、さすがに年間30冊も書いてたらそこそこ収入はありそうなものである。
現に筆者は喫茶店を経営しているというし(その元手はおそらく執筆で稼いだのだろう)。
試しに1冊590円、印税10%、1冊辺りの売上2000〜5000冊として計算してみる。
354万円〜885万円と出た。
決して高いとは言えぬが、生活ギリギリとも言えぬ年収である(作者の世代はどうだかしらないが私の世代においては自営業で年収350万は生活ギリギリとは言わない。公務員でフルタイム働いても200万行かない人たちがゴロゴロいるからなぁ……)。
「儲からない」という表現は、まあ事実なんだろうね。
また、作者は無趣味だというし喫茶店の売上もあるだろうから、どちらかというと「使わない」ことの徹底で堅実に預金している印象。

駆け出しのころは、『新世紀エヴァンゲリオン』のパロディを書いたことがある。
(P20)

筆者は1956年生まれであり、23歳で官能小説デビューしたそうだ。
てことはエヴァを書いたのが1995年だとしても39歳、キャリア16,7年である。
それでも「駆け出し」と言うのか。官能小説の世界はそうなのか。うーむ。

現代の男女二人が江戸時代にタイムスリップした話を書いたとき、現代のケータイが通じるかどうかという問題が浮上した(中略)時間の裂け目があるのだから、そこから電波が現代に届く可能性は高い。だから、ケータイが通じても不自然ではないだろう
(P23〜24)

これは館淳一さんという方のアドバイスらしいけど、納得。

作品が5年、10年残ったときのことも考えれば、タレントの名前は出さない方がいい
(P56)

人物の設定にしても、場所の設定にしても、読者との距離があり過ぎると、途端にウケが悪くなる。読者が主人公に感情移入できないからだ。読者は、主人公に自分を投影して読んでいるのだから、それを裏切るようなことはしてはいけない。
現実には起こらないけれど、ひょっとしたら起こるかもしれないというギリギリの設定が理想的
(P81〜82)

なるほど。見識である。

次の三つのどれかにセールスポイントを作るようにしなければいけない。
①行為②場所③関係

官能小説の場合、ヒロインのキャラや設定はセールスポイントにならないんだね。

二見書房のマドンナメイト文庫や勁文社のグリーンドア文庫のタイトルは、読者に分かりやすいような扇情的なタイトルが多かった。こちらがカッコいいタイトルを考えても、勝手に変えられてしまうのが普通だった(中略)講談社文庫や徳間文庫などは、私の場合お互いに話し合って決めるので、ある程度こちらの意向が反映されている。
(P93)

偏見かもしれないが、大手の方がしっかり打ち合わせに時間を割いてくれるということかな。

果実系の匂い、乳酪系の匂い、磯の匂い、そして玉ねぎの匂いと納豆の匂いである。この五種類が組み合わさって、女性の匂いはできている。
(P152)

上手いこといいますねぇ。

中学二年生の頃、水泳の授業のときに、教室に女子が脱いだものが置いてあった。男子の授業が早く終わり、先に教室に戻ってきたのである。
五人くらいの仲間で、クラスで一番可愛い女の子の下着を回して見た。さすがに中学生だったから、匂いを嗅ぐような強者はいなかったけれど、みんんで手に取って見たのだ。それが非常に嬉しかった。大して仲がいい五人ではなかったけれど、「俺は、こいつらと死んでもいい」とさえ思うほど感動した。
そのとき、「一人ですると変態になってしまうが、みんなですれば青春だなぁ」と思ったものだ。
(P174〜175)

いい経験ですねぇ。

人生で初めての恋人が出来た。(中略)バイトで知り合った、5歳下の高校を卒業したばかりの18歳だった。しかも、日没門限という男爵家のお嬢様だった。(中略)
念願のファーストキスは、彼女とだった。たった2秒くらいのキスだったが、頭がぼうっとなり、その後何を話したのか、どうやって家に帰ったのか思い出せないほど、嬉しかった。彼女の唇の感触と痺れるほどの感激だけは確かだった。
(中略)彼女とは、1年半付き合ったけれど、結局最後まで挿入はしないまま別れてしまった。
(P207〜208)

甘酸っぱい思い出だ。それを照れなく語れてしまうところが格好いい。初エッチが19なのでファーストキスが後になるんだね。


この作者さんの創作論は年間20も30も書く方法としてはなるほどなと思えるのだが、如何せんそういうスタンスに私は向かないしやりたいとも思わないので、あくまで参考になる程度だった。
また、「文化系の方が変態」「平和な時代の方が変態」という点にはやや疑問符が付く。体育会系に変態はいっぱいいるし、江戸の方が爛熟したかもしれないが戦国武将も衆道を嗜みとしていたわけだから。