読書について

読書について 他二篇 (岩波文庫)

読書について 他二篇 (岩波文庫)

この本は「思索」「著作と文体」「読書について」の三編からなるが、今回は「読書について」の感想を書く。
わずか20ページの中に、読書の姿勢として大切な点を凝縮してあることが、この文章の特徴であろう。
悪書が良書を駆逐している。文学の歴史は極めて僅かな書き手によって紡がれている。読書に自らの考えを押しつぶされてはならない。こうした指摘は基本的であるが故に、重要でもあろう。
別の本で読んだような話だぞ、と思われる方に、もうひとつの指摘を紹介する。

肉体は肉体にあうものを同化する。そのようにだれでも、自分の興味をひくもの、言い換えれば自分の思想体系、あるいは目的にあうものだけど、精神のうちにとどめる。目的ならば、もちろんすべての人が所有している。だが思想体系と言えるようなものを所有している者は、きわめて少ない。このような人々は、いかなるものにも客観的興味をもたない。したがってまた、読んだものも、そのままの形では、彼らの精神に付着しない。

つまり、読んだ書物のその分野に精通*1していない人は、書物の内容を手前勝手に理解してしまうおそれがある、と警鐘を鳴らしているのである。
そして、それを避ける為の方法として、ショーペンハウエル

重要な書物はいかなるものでも、続けて二度読むべきである。

と、短い処方箋を示してくれる。そうすることで、ありのままの筆者の論理に気づきやすくなると書いているのだ。これは、個人的な体感と重ね合わせても、箴言だと思う。
こうした、読書の質を高める知恵がいっぱいの文章である。
ところが、この文章は、元々の才能がなければ本を読んでも作者の資質は得られない、と、恐ろしいことも書いている。どうもこの人は、才能のない者を見下したり、愚痴ったりする傾向があるようだ。文章の大半を占めるそうした内容から、得られるものは少ないのが、この文章の不満点である。
まぁ愚痴も含めての価値ある20ページなので、偉大な先人に敬意を表して、ちょっとくらい聞いてあげても罰は当たらないのではないか?

*1:ショーペンハウエルは、細分化された学問ではなく、もっと高次の「哲学的なもの」を「思想体系」と呼んだのかもしれないが