"「批判する人」って、まじダサい。/「批判される人」になろう"という記事について

http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20120306/1331042153
コチラの記事を読んだ感想。


このブログは時々、タマに……えーと具体的に言えば月1くらいのペースで確認してなるほどーと思ったりえーと思ったりしている。


で、何となくこの記事についてコメントしようと思った。


この記事に対する適切な「批判」は端的に言って「えっと」氏が書いた↓コメントに尽きると思う。

批判という言葉の意味をちゃんと調べた方が良いのでは?
非難と批評を同列に語るのは、マジだせぇと思いますし
「悪評」というより適切な単語を用いないのも、マジだせぇ

で、この記事についても「批判」を「非難」や「悪評」に適宜置き換えれば意味が通じるのだが……それがRootportさんの真意であるのかには疑問が残る。
「批判」から「非難」を除いたものは、いわゆる「建設的な批判」と呼ばれるものだろう。厳密に言うとそれ以外もあるのかもしれないが。
しかし、ここでは「建設的な批判」を「構造を明らかにしたり、そこから導き出せる問題点を明らかにしたりして、我々に合わせるべきピントを教えてくれるもの」と仮に定義しておく。
例えば"「批判する人」って、まじダサい。/「批判される人」になろう by Rootport"という記事を読んで何か同意できない、という漠然とした不満を抱えている人がいたとする。
その時に「その記事の『批判』って、『非難』とか『悪評』と呼ばれるものをゴッチャにしてるからおかしいよね」という指摘があって、漠然と不満に思っていた人はエウレカ! するわけだが、一般にそういうものを「建設的な批判」「良い批判」と言うと思う。
もちろん上の例の場合は問題点があからさますぎて誰にでも突っ込めるレベルだけれど、これが複雑な社会問題や政治問題だったりするとその分析に相当の時間と労力と知性が必要となるわけで、そうした人達による適切な「批判」は複雑化しまくって見通しの悪いこの社会をボクタチワタシタチが多少は安心して歩く上で重要な役割を担っていると言える。
そこで、冒頭の問題提起に戻るのだが、Rootport氏はそのレベルでの「批判」をするよかされる人間になるべきだと主張しているのか、アイマイだ。
例えば「財務省」を「建設的に批判」するとしたら、あの強大すぎて影響力が日本全土を覆っている組織の正体を明らかにしてその問題点を抉り出すのは個人が一生を捧げても無理なんじゃないかと思えるほどだが、それを行う立派な学者さんになるより、財務次官なり財務大臣になろうぜー、ということをRootportさんが仰っているのか、その辺を明らかにして欲しいなあと思った。
これ、もちろんマクロな視点で言えば「社会にはどっちも必要」という結論に終わるに決まっているが、もしもRootportさんがミクロな視点で、つまり処世術として「批判するヤツより批判するヤツの方がいい人生送れるぜ」という意味で仰っているのなら、それはそれで一理ある意見だと思うのだ。学者と財務省キャリアや財務大臣の給料・権力・待遇を比べたら後者の方が圧倒的に良いに決まっている。
Rootportさんとこれまで何の付き合いもない場末のブログの戯言なんで無視されてもしゃーないなーと思いつつ、とりあえずトラックバックを送ってみる。